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2009年1月12日 (月)

はじめに

 真理は隠れている。探し出すのはあなた自身だ。 小野しまと

       ☆       ☆       ☆

 いよいよ国民全員裁判官という時代がやって来る。私もいずれ「裁く者」として法廷に呼び出されるだろう。それまでは、まだお役目の回ってこない裁判員として、つまり非番の裁判員として待機しているわけだ。

 だが、面白い時代になったものだ。私にもともと盗癖があったり、他人の命を狙いかねない凶暴性があったとしたら、どうなるのだろう。犯罪者が犯罪者を裁くという奇妙な事態にもなりかねない。日本の民主主義もずいぶん進化したものだ。

 この制度ができたおかげで、大きく変わったことが一つある。良いにつけ悪いにつけ犯罪が身近になったことだ。今までのように、社会のどこかで専門家がうまく始末してくれるだろうと、遠くを吹く風のように思っているわけにはいかなくなってしまった。犯罪事件が起きるたびに、今までとは違った「裁く者」の目で、いろいろと推理し判断している自分を発見するのだ。

 今までも、刑事物や裁判物のドラマを見ている時に、それに近い気持ちになったことはあるが、それとはまるっきり真剣度が違うのだ。いい加減な推理や判断をしてはならないという気持ちがある。

 何しろ、他人の死を決定する権利まで手に入れたのだ。法に従えば、人を殺すことだってできる。しかも、法について全く無知の状態にあってもかまわないのだ。裁判員の資格については何も問題にされないのだから、事は重大だ。かえって責任を感じてしまう。

 そこで私は、何か大きな犯罪事件が起きるたびに、自分の裁判員の順番が回ってきたつもりになって、その事件の詳細を考えてみることにした。

 今までだったら、何にも知らないシロウトが、余計な口を挟んだり、勝手な推理をしたり、バカげた判断を下したりしたら、はた迷惑だと言って非難されたことだろう。

 だが、今や、それが通る時代になったのだ。自分の担当する事件が回ってくるまで、機会を見つけては知性や判断力を磨き、自己を高め、他人を裁くための能力を身に着けることは、国民全員裁判官時代の義務でもあると言える。

 自分が実際に法廷に呼び出された時の心構えとして、準備として、練習として、いわば「基礎訓練」として、私は、主として殺人事件を対象に、自分なりの感想や意見や推理を書いてみることにした。

 幸い、今やブログを交換して、自分の誤った考えや片寄った意見、至らない判断はどんどん直してもらえる時代だ。私の気がつかないでいた事実や知識についてもコメントを入れてもらえるだろうし、知識人のご批判もいただけるだろう。これこそまさに裁判員になるための立派な基礎訓練なのだ。

 しかも、主題になっているのは実際に起こった現実の事件なのだから、最近盛んに行われている模擬裁判などで架空の事件のことをいろいろ考えるよりも、はるかに現実味があり、実践的な練習になることは間違いない。

 私が最初に取り上げたいと思うのは、例の秋葉原無差別殺人事件も大いに関心をそそるのだが、何といっても最も新しく、しかも真相の捉えにくい、埼玉・東京で起こった元厚生次官夫妻殺害事件だ。おそらく恰好の問題を提供してくれるだろう。

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