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2009年1月17日 (土)

これは無差別殺人ではない


 真理は隠れている。探し出すのはあなた自身だ。 小野しまと

       ☆       ☆       ☆

 元厚生次官夫妻殺害事件のあと、この事件の詳細を知りたいと思い、私はNHKや民放の報道番組にチャンネルを回して、情報を探し求めた。

 確率は低いにしても、裁判員として将来この事件を担当することにならないとは限らない。それに対処するには、まずは事件直後のテレビや新聞の情報をよく把握しておく必要があると思ったのである。

 ところが、最初から唖然とさせられる言葉を聞かされることになった。テレビに出ていた解説者の何人かが、この事件を「無差別殺人」だと言ったのである。

 或る女性作家は、「一種の無差別殺人」という言い方をし、「一種の」という限定表現を加えていたが、この事件を「無差別殺人」と見ていることに変わりはなかった。

 こういうことを平然と言ってのける解説者には、法律の知識どころか、日本語の常識さえ欠けているのではないかと思われたのである。

 無差別に誰かに危害を加えるということは、相手が男であれ女であれ、老人であれ若者であれ問題にしない、つまり性別・年齢・職業・身分・人種・外観、等々に関わりなく、「通り魔」的に他人に襲いかかることを意味する。

 秋葉原の無差別殺人事件がまさにそうだった。そう言えば、このように、元厚生次官夫妻に対する事件を「無差別殺人」だと断じた解説者たちは、秋葉原の事件を引き合いに出し、それと同じ視点で、最近の世相や犯罪を論じる人たちが多かったように思う。

 だが、この二つの事件はまったく性質の異なるものだと言わねばならない。前回書いたブログ「この殺人はプロの仕業だ」でも述べたように、元厚生次官夫妻殺害事件は、犯人が宅配便を装ったり、特別な時間帯を選んだりして、緻密な計画のもとに行動していることは確かだし、手慣れた殺しのテクニックを用いて確実に相手を倒している。

 その相手というのは、元厚生次官とその妻であり、殺人の対象は最初からはっきり限定されていた。決して無差別な、行き当たりばったりの犯行とは言えないのである。

 犯人を名乗る男、小泉毅が警視庁に出頭し、埼玉と東京での事件が同一犯によるものと推定され、特に、この男が、5人の元厚生次官とその妻の殺害を計画していたことが明らかとなった今、もはやこの事件を「無差別殺人」などと呼ぶ人はいないであろう。

 しかし、事件の直後には、このように呼んだ人がいたことは確かだし、彼らの言葉によって事件の第一印象を受け取った人々にとっては、かなり影響力のある発言として残ることも考えられる。

 将来この事件の裁判員になる人が、テレビや新聞から受け取った最初の印象に囚われていると、この事件に対する正しい評価もできないままに、裁判に臨まねばならない。

 事件報道に加わっていた或る論者が、この事件は「単独犯によるものだと思う」と言っていたが、この発言も同じように、先走った推論だと言わざるをえない。

 犯人に、プロ級の殺しのテクニックが認められるならば、当然、この人間を雇用した背後の動きを疑ってみる必要があり、簡単に「単独犯」だと言ってのけるのは、時期尚早であろう。

 最近、警察は「単独犯」という線でこの事件を扱っているという報道を目にしたが、これは何を根拠にしての決定なのであろう。

 国民全員裁判官という時代を迎えるにあたって、各メディアはもう少し慎重になるべきだと思うのである。何しろ、裁判員になるための基礎訓練の場を提供するのはメディアであり、これからは、いわば教育機関に近い役目を負うのであるから。
 
 法律はおろか日本語の意味さえ分からない解説者に勝手なことを喋らせて臆断を振りまくような番組から脱して、もう少し事実の報道に徹するべきなのではないだろうか。

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