日記・コラム・つぶやき

2009年2月23日 (月)

日本人はこんなに冷たかったのか─中川財務相の辞任

 真理は隠れている。探し出すのはあなた自身だ。 小野しまと

       ☆       ☆       ☆

 しばらく前から、中川財務金融担当相が体調を崩しているのではないかと思っていた。国会中継を見ていると、麻生首相の横に坐っている同氏が、疲れ切ったような様子で椅子に深々と沈み込み、目を閉じてじっとしている姿を見かけることがあった。ちょうど先日のG7の時と同じような感じで。

 そんな印象が強かったせいか、G7での記者会見を見て私が真っ先に考えたのは、中川財務相の病的症状がとうとう表面に現れたのではないかということだった。あの表情や態度や話し方からすると、「これは病気に違いない」というのが私の直感だった。

 ローマでの会議に出席するためにはかなりの強行軍が必要だったであろう。精神的な疲れもいつもの何倍かはあったに違いない。そういった心身両面にわたる疲労が積み重なった結果、肝心かなめの会議の席上で、あのような状態に陥ってしまったのであろう。

 それにしても、なぜ周囲の人たちは中川氏をあのまま放置しておいたのであろう。外務省を始め関係省庁から多くの随員が同行しているはずなのに、誰ひとり中川氏の病的な状態を気遣わなかったのであろうか。聞くところによると、ああいう状態になったのは、記者会見の場だけではなかったという。

 私がふと思い出したのは、ブッシュの父がアメリカの大統領として日本を訪れた時、晩餐会の席上で突然倒れかかったことがあった。その時は、周囲にいた人たちが走り寄って介抱すると同時に、カメラの目からブッシュ氏を遠ざけ、そのあからさまな状態を撮影させないように庇っていたことが特に印象的だった。

 私は、中川氏のあの病的な姿を報道陣に見せまいとする配慮があっても良かったのにと思ったのである。ところが、隣席の日銀総裁も、またもう一方の側にいた財務省局長も、なにか他人事のような感じで、中川氏の挙動に特に驚いた様子もなく、平然と記者会見を続けていたことに、私はどことなく不自然なものさえ感じたのである。

 外国のメディアは早速、「眠気覚ましにはイタリアのエスプレッソがあるではないか」などと皮肉で揶揄的な言葉を付けてこの状景を世界に流し、長距離飛行と時差のおかげで眠気に勝てなかった中川氏の「失態」と意味づけたのであった。

 日本のメディアは、この場合どうすべきであっただろう。まずは、この「失態」という判断に対して、それを否定する立場を見せても良かったのではないだろうか。

 私は、何も嘘をつけと言ってるのではない。中川氏のあのような態度の原因としては、病気ということも考えられるし、それ以外の原因が何かあったのかも知れない。極端なことを言えば、政府の要人が一服盛られることだって無いとは言えないであろう。

 外交が本質的には国家利益を目的とし、国家の誇りをかけて行われていることは、昔も今も変わらない。日本のメディアも、この際少しは愛国的になって、まずは、自国の政治家の名誉を守ろうとする暖かい報道をしても良かったのである。

 ところが、どうであろう。各紙・各局がいっせいに書き立てたことは、中川氏のぶざまな態度であり、外国メディアの酷評からさらに一歩進んで、「泥酔」とか「醜態」という言葉までさかんに飛び出してくる始末だ。

 テレビ局の解説者たちも、いっせいに中川氏に対する非難、糾弾、悪口の集中砲火を浴びせ、「風邪薬を飲んだせいかも知れない」という同氏の言葉には耳を貸そうともしない。中には、「こんなことコメントする価値もない」と叫び出す有名評論家さえいた。

 さらに悪いことに、森元首相が、中川氏の飲酒癖について語り、泥酔し寝ていることもあったと証言し、麻生首相の人選に疑念の言葉を洩らしたことも、中川氏の印象に決定的な影響を及ぼした。

 街頭でインタビューを受けた人たちも、「早く辞めてほしいですね」とか「日本の恥ですよ」などという答に終始し、私の知るかぎりでは、中川氏に対する同情的な言葉はまったく聞こえてこなかった。

 最近のニュースでは、中川氏は「風邪薬」の他に、「腰の痛み止めの薬」を飲んだとも言っているそうだが、そうすると、これ以外にも、人々に伏せている薬の使用があったのかも知れない。

 病と闘いつつも、国家のために身を捧げて働いている大臣などということになると、これはヒーローの誕生と言っても良いであろう。G7を終えた中川氏が自宅に戻った時、奥さんが「頑張って、日本一」と大声で言ったそうだが、私は、この意味不明な言葉に何かが隠されているように思えてならない。

 野党からはさっそく問責決議案が提出され、さらに首相の任命責任が問われるような事態になり、ついに中川氏は、財務金融担当相の職を辞することになった。

 同氏の酒好きは有名だそうで、晩餐会などでも深酔いをしてハメをはずしてしまったこともあるという。しかし、酒の席で飲み過ごすことと、大事な仕事を前にして深酔いするのは別のことだと言わねばならない。

 私が不審に思うのは、外国の新聞が最初から中川氏の「節度のない酒好き」について述べ、あのような「醜態」を演じたのは明らかに酒のせいだと、なかば嘲笑的に断定したことである。どこで、「酒好き」などという情報を手に入れたのだろう。

 中川氏が、G7のような重要な会議を前にして泥酔するような自堕落な人間だとしたら、性格破綻者と言われても仕方がないであろう。しかし、いくらなんでも、そのような人物を麻生首相が国の大臣職に任命するはずがない。私たちは、自分たちの代表をもう少し信じてもよいであろう。

 また、仮にそうだったとしても、そのような人物を選挙で選び、大臣職に就くまでの資格を与えてしまった国民全体の責任が問われるべきであって、必ずしも首相の任命責任だけが問われるものではない。それが民主主義の論理というものである。

 そして、もしも「泥酔」ということが事実ならば、それも一種の病気なのであるから、国民全体がその病気を隠し、国家の健全な顔を見せようと努力することが、まさに国際政治の行動原理であり、要諦なのである。

 中川氏の辞任について、ロシアのテレビ局が次のような論評を加えていた。同氏がワインを飲んで酔っぱらったかどうかなどということは関係ない。この事件で明らかになった日本の政治の特色は、そんな態度を見せたということだけで簡単に見切りをつけ、新しくやり直すことにあるらしい、と。

 ロシアにはウオッカを飲んで酔っぱらう政治家はいくらでもいる。ところが、日本ではそうらしいと思っただけで、その政治家がこれまで国家のために尽くしてきた功績も忘れて、一遍にクビにしてしまう。なんとも狭量で冷たい国民だということを皮肉った論評のように受け取れるのであるが、どうだろうか。

 中川氏の「泥酔」報道があった日の深夜、たまたまBSで黒澤明の「わが青春に悔いなし」が放映された。戦時中、反戦運動で捕らえられ獄死した夫の郷里へ、原節子扮する妻が訪れる。夫の両親の家には「スパイの家」とか「裏切り者」などと落書きされており、村の人々は、なんとも冷たい視線を彼女に送るのだ。

 そんな冷たい視線は過去のものだとばかり思っていたら、今回G7で起こった中川財務金融相の事件は、それと同じ冷たさが相変わらず日本人の心の中にあることを教えてくれた。「麻生降ろし」の呼び声にも、多分にこういった「村八分」の感情が働いているように思える。せっかくの有能な政治家をこれでひとり失うことにならなければよいが。

 (先ほど耳にした情報では、記者会見後のバチカン博物館の見学でも中川氏がなにか失態を演じたということだった。私は、記者会見の席上であんな状態だった中川氏をなぜ休ませようとしなかったのかと不審に思う。中川氏の失態よりも、周囲の人間の無神経さが気になるのだ。日本の外交や国内政治を狂わせようとする意図的な策謀でもあるのだろうか?)

2009年1月12日 (月)

Black Heartの誤訳について再び

 真理は隠れている。探し出すのはあなた自身だ。 小野しまと

       ☆       ☆       ☆

 クリント・イーストウッド監督主演の映画「ホワイトハンター、ブラックハート」の中で、「ブラックハート」が「邪悪な心」とか「悪魔の心」などと日本語に訳されていることが、とんでもない間違いだということを前回述べた。

 「ブラックハート」を「邪悪な心」「悪魔の心」とするか、ごく単純に「黒人の心」とするかによって、この映画の内容も意味もまったく違ったものになってしまう。この映画の価値さえ失われかねないであろう。

 イーストウッド扮する映画監督ジョン・ウィルソンがアフリカのケニヤにやって来て最初に出会ったのが、或る女性のユダヤ人差別だった。彼はこの女性をこっぴどくやっつけて追い払うのだが、次ぎに目撃するのはホテルの支配人の黒人差別である。

 その支配人が、黒人の使用人に向かって「脇を歩け、このウスノロめ!」と叫んだ言葉をジョンは許さない。彼は支配人を中庭に呼んでこの行為を咎め、結局殴り合いになるのだが、支配人の強さに圧倒され、何度も地面に倒される。それでも最後まで闘志だけは失わない。

 ジョンのアフリカでの生活が「前座はユダヤ人合戦なら、今はアフリカ人合戦だ」と誰かが言うように、映画の前半は、人種差別への彼の戦いという形で終始する。

 そんな彼が、黒人ガイドのキブと親しくなるのは自然な流れで、自分の気持ちを「最初から分かっているのはキブだけだ」とまで言うのだ。彼はキブに映画の台本を手直しさせたり清書させたりするばかりか、映画の撮影地をキブの村まで移動させたりする。

 キブの村の人々もジョンを大歓迎し、「ジョンは彼らの仲間だ」と周囲の白人たちも言うくらいだ。

 キブは、ジョンの象狩りについても積極的で、ジョンの先頭に立って熱心に目的の象を追い求めるのだ。それがたまたまジョンの身を庇って自らを犠牲にしてしまうところまで行ってしまう。

 苦悩と傷心に打ち沈んで村に戻ったジョンの周囲に村人たちが集まって、太鼓を叩き、歌を歌い始めるのだ。

 「この白人ハンターは、黒人の心を知っている」と。

 そうでなかったら、キブがわざわざ自分の身を挺してまで、ジョンを助けたりはしなかったであろう。村人たちもこのことはよく知っていて、キブに捧げる鎮魂歌として、親友を失って苦しむジョンへの慰めの言葉として、この歌を歌っているのだ。

 二、三回歌ったあと、村人たちは、キブの妻らしき女性をなだめながら、全員で引き揚げてゆく。

 ジョンの心に「邪悪さ」や「悪魔」を想定させる理由は何もないし、仮に村人たちがそんなことを考えたとしたら、黒人である彼らが、わざわざブラックという言葉でそれを表現しようとはしなかったであろう。

 映画を制作する立場から言っても、ブラックの差別的用法と思われかねない、そのような意味をここでわざわざ使うはずがないのである。

 村人たちにジョンへの恨みや憎しみがあったのなら、彼らはいつまでもその場に残り、村から撮影隊を追い出そうとしたであろうし、投石などによる暴動にさえ発展しかねないのである。

 しかし、村人たちの慰めにもかかわらず、ジョン自身の苦悩は、簡単には収まらないのであろう。親しい友を死に追いやってしまったことに複雑な表情を見せながら、彼は、村人たちが去った方向へ夢遊病者のように歩いてゆく。

 そこには、キブの息子であろうか、独り残った子供がいて、何か物言いたげな眼差しで、ジョンのことをじっと見つめているのだ。

 ジョンは脚本家ヴァリルに近づき、
 「君の言う通りだ」と呟く。
 ヴァリルはかつて、ジョンのことを「自己中心的で無責任だ」と決めつけたことがあるのだ。
 「結果としては誤りだった」とジョンは告白する。

 それから、思い直したように、監督用の椅子に戻ると、待っていた撮影隊に向かって「アクション」と叫ぶのだ。とにかく、心機一転、新しい「行動」に一歩を踏み出さなければならない。映画はここでフェードアウトする。

2008年8月31日 (日)

Black Heartのとんでもない誤訳

 真理は隠れている。探し出すのはあなた自身だ。 小野しまと

       ☆       ☆       ☆

 テレビで、アメリカ映画「ホワイトハンター、ブラックハート」を見た。クリント・イーストウッド監督主演の1990年制作の映画だ。モデルは、かつてハンフリー・ボガートとキャサリン・ヘップバーン主演の映画「アフリカの女王」を監督したジョン・ヒューストンだという。

 映画撮影のためアフリカへやって来たジョン・ウィルソンは、撮影よりも象狩りに夢中になっている。巨大な牙を持つ一頭の象を追いかけて、ジョンは、撮影など放り出し、現地の案内人キブとともに山野を走り回っている。

 この黒人の案内人キブだけが、ジョンにとっては心の許せる友だちなのだ。というのも、ジョンは、ユダヤ人差別や黒人差別には激しい怒りを見せる性格で、黒人を不当に扱っているホテルの支配人とは、体力を使い果たすまでの殴り合いをも辞さないほどの心の入れようだ。

 現地の黒人たちは、こういうジョンの心根をよく知っており、案内人のキブを始め、みんながジョンには特別な親しみを抱いている。

 映画の出演者やスタッフが揃い、遅れていた撮影にこれから入ろうという或る日、案内人キブから、ジョンの狙っている巨大な象を見つけたという連絡が入る。

 ジョンはまたまた、せっかく準備を始めていた撮影を放り出し、脚本家のヴァリルなど二、三の仲間を引き連れて、キブのもとへ駆けつけるのだ。

 いよいよ目的の巨象と対決するジョン。もともと象を撃つことに反対な脚本家ヴァリルは、ジョンを制止しようとするのだが、キブだけはジョンと行動を共にすることに積極的だ。

 しかし、象の頭に狙いを付けたジョンは、どうしても銃の引き金を引くことができない。野生の象をまともに観察して、生きるものの尊厳に心を打たれたのであろうか。

 象を殺すことは、法的な意味での犯罪(crime)ではないが、倫理的な意味での罪悪(sin)であることはジョンも認めていた。その罪の意識に突然捕らわれたのであろうか。

 とにかく、彼は、象を撃つことをやめてしまう。それで全てが平穏に収まればよかったのだが、象が突然暴れ始めたのだ。走り出てきた子象の動きに刺激され、狂乱状態に陥った親象が、ジョンに向かって突進し始めた。

 そのジョンを庇おうとして、案内人のキブが象の前に飛び出し、牙に刺されてしまう。キブは、身を挺して親しいジョンの命を救ったのだが、その結果、自分は帰らぬ人となった。

 傷心のジョンが、みんなの待っている撮影現場に戻ると、そこに集まっていた現地の人々が、太鼓を叩き、何やら歌い始めたのだ。

 案内人キブの死を知らせ、その死を悼む歌だった。何を言っているのか、というジョンの質問に答えて、通訳が言う。

 「White hunter, black heart」と。

 ここで、この映画の表題になっている「ホワイトハンター、ブラックハート」という言葉が初めて出てくるのだ。それも、何とも驚くべき、とんでもない日本語訳とともに。

 「白人ハンターは、邪悪な心」

 この訳だけで、この映画のテーマも、価値も、意味も、すべてが吹っ飛んでしまうほどの、とんでもない誤訳なのだ。

 「ブラックハート」のブラック(黒い)を「汚れた」「汚い」「邪悪な」などという意味に取ったのであろう。以前には「悪魔の心」という訳語さえあったようだ。

 太鼓を叩いてこの歌をうたっていたのは黒人たちである。黒人がブラックという言葉をそんなネガティブな意味で使うだろうか。

 それに、ここでは、ホワイトとブラックの二つの言葉が、「白人」と「黒人」という意味で対比的に使われていることを見落としてはならない。

 なぜ、「白人のハンター、黒人の心」という訳が素直に思い浮かばなかったのであろう。

 ジョンは、黒人の心が分かる白人として、現地の人々から愛されており、それだからこそ案内人キブは、自らを犠牲にしてまで、彼を助けようとしたのである。

 ジョンが、黒人を差別するホテルの支配人に殴り倒され、フラフラになり、血にまみれながらもあくまで戦おうとして立ち上がっていく状景を目にした黒人たちは、キブの死をジョンのせいにして恨んだりはしないであろう。

 そういう映画のプロットをまったく無意味にしてしまうような訳が、ブラックハートを「邪悪な心」とか「悪魔の心」などとする、滅茶苦茶な訳なのだ。

 この映画に対する評価や感想にも、この訳の影響が現れていて、いろいろなブログを見ても、「白人ハンター、邪悪な心」を前提とする解釈ばかりが並んでいる。

 「映画の意味がよく分からない」「解釈に困る話だ」「はっきり言って、内容がよく分からない。伝えようとしている事が難しすぎる」といった答えも多いのだが、それは多分に、この映画のタイトル「ホワイトハンター、ブラックハート」の意味が曖昧なままに進行し、最後にいきなり日本語訳が示されるという構成によるのだろう。

 なぜ、日本語のしっかりした表題を付けなかったのだろう。最近は、横文字のままカタカナで表記することが多いが、やはり出来うるかぎり翻訳の努力はすべきであろう。

 何もかも日本語に言い換えることには問題もあるが、これまで外国語を日本語に直すことによって、日本語の文化が高められ、豊かになってきたことを忘れてはならないであろう。

 「ホワイトハンター、ブラックハート」のタイトルが、「口に出すとゴロがいいが、英語力が足りないこちらにとって、最後の最後に黒人通訳が口にするセリフの字幕スーパーで、ようやく理解に至りました」などと書いている人もいた。

 その字幕スーパーが「白人ハンター、邪悪な心」では、内容の「理解」がどんな方向に進んでしまうのか分かったものではない。

 「白人のハンターには悪魔の心が宿っている」と理解する人が多いようで、監督ジョンがそのことを思い知らされるのは、最後に巨大なアフリカ象の前で、勇敢な案内人が身代わりになって死んだ時だ、などと解釈する人もいる。

 「悪魔の心を持つハンターが、崇高な心を持つアフリカ人ガイドの犠牲によって命を拾うというアイロニー」などと書いている人もいた。

 この結果、自分の「邪悪な心」を思い知らされた監督ジョンが、「途方に暮れて、自分の行動を見つめ直し」、これまでの身勝手さや傲慢を乗り越えて、「アフリカの女王」の撮影に真剣に取り組もうとするのが、この映画の結末だというのである。

 しかし、こういった解釈がすべて誤りであることは、以上に述べたことからも明らかであろう。ブラックハートを「邪悪な心」とか「悪魔の心」としたたった一語の誤りが、日本全国に誤解の種を振りまき、この映画の評価を狂わせてしまったのである。

 もう一度言っておこう。この映画の題名は、「白人ハンター、黒人の心」なのだ、と。

参照:
牧坂満/http://www.eigaseikatu.com/imp/2522/387000
クルイベル/http://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?TITLE_NO=4144
仮名側之丞/http://www.eigaseikatu.com/imp/2522/28270
コナンが一番/http://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?TITLE_NO=4144
古地留知夫/http://wkss.bizhat.com/gatesofhell/070aenigma/0707no5/0700701.html
星空のマリオネット/http://www.eigaseikatu.com/imp/2522/296314
M's daily life/http://amlmlmym.blog15.fc2.com
なるた/http://www5b.biglobe.ne.jp/~naruta/mrepo12.htm

2008年8月30日 (土)

ココログへ引っ越してきました

 
 真理は隠れている。探し出すのはあなた自身だ。 小野しまと

       ☆       ☆       ☆

 私は、2006年の11月21日から「まぐまぐ」でブログを書き始めました。これまでに59回記事を書きましたが、最近「まぐまぐ」ではブログ形式が廃止され、書式も多くの点で合わなくなりましたので、私の目的に即した適当な移転先がないか探していました。

 そして、最も身近なところに、私のインターネット接続のプロバイダーであったニフティに、理想的な場があることを知りました。「ココログ」へ引っ越しすれば、これまでに書いたブログも問題なく取り込むことができますし、これからの著述にも最適な環境が得られることを知ったのです。

 私は、「まぐまぐ」では、「清潔クラブ─清潔について語ろう」というブログ名を使っていました。ブログ形式の廃止とともに、「清潔クラブ─精神・身体・世界の清潔を求めて」と名を改め、マガジン形式だけでやって行くつもりだったのですが、やはり私のテーマには読者との対話が必要です。

 「清潔」の観念は誰もが同じというものではありません。それぞれの人が独自の清潔感を持っていて、キレイ・キタナイという判断も微妙に違います。そういう様々な感じ方や考え方を突き合わせ、総合的な「清潔」の理解を得るためには、みんなで話し合う場がどうしても必要になります。

 そこで、私は、ニフティ提供の「ココログ」に場を移して、ブログを継続することにしました。「まぐまぐ」の読者に対して、私は次のような趣旨を述べましたが、ここでもその方向は変わりません。

 「日本人の清潔好きは有名です。日本には古代から清潔の哲学がありました。ケガレの思想です。西洋にはありませんでした。日本人の清潔志向を正しく導くためにも、清潔について自由に語り合える場が必要です。清潔の哲学をみんなで創って世界に輸出しませんか。」

 私は、究極の哲学は「清潔」の問題に帰着すると考えています。「清潔」はごく日常的な問題ですが、最後には、存在や自由の哲学を超えたところにまで発展します。その証拠に、世界のあらゆるもの、物体的なものにせよ精神的なものにせよ、すべてを「清潔」の観念で捉えることができるからです。

 そこで、このブログ「清潔マニアの哲学エッセイ」も、あらゆるものに話題が及びます。身体の清潔、精神の清潔、そして言葉の清潔。清潔は、人間の文化が求めるものの全てだと言っても過言ではありません。

 これまでに発表したブログをリストアップしておきます。これらは「まぐまぐ」のアーカイブから移転し、ビワコ・エディションの「コーヒーブック」欄に保存されていますので、興味のある方はぜひ読んでください(http://www.e-biwaco.com/coffee_book/index.html)。

 いずれも、内容をもう一度吟味し、書き直した上で、「ココログ」への引っ越しを行う予定です。

01 ハンカチ王子の清潔感[2006/11/21]
02 名探偵モンクは清潔マニアだ[2006/11/28]
03 手をつなぐのは不潔なの?[2006/12/05]
04 ハエを叩いて三千里[2006/12/12]
05 お金の不潔さが気になったことありますか?[2006/12/19]
06 試食するのはお好き?[2007/01/02]
07 ペットの清潔の問題で悩んでいませんか?[2007/01/08]
08 美人はみんな清潔マニアです[2007/01/19]
09 不二家よ、お前もか![2007/02/06]
10 立ちションと坐りション[2007/02/28]
11 あなたはお乞食さんとフリーハグできますか?[2007/03/14]
12 ネズミ入りカレー[2007/04/02]
13 名探偵モンクは握手が嫌い[2007/04/21]
14 安倍首相の言う美しい国とは[2007/05/05]
15 オニギリを手づかみで食べる[2007/05/12]
16 清潔だが優しさのない町[2007/05/19]
17 人間はなぜ食器を使うのだろう[2007/06/02]
18 清潔な料理を食べさせたい[2007/06/19]
19 清潔な言葉・不潔な言葉[2007/06/30]
20 モンゴリアンという差別語[2007/07/07]
21 汚れてたってプライドはある[2007/07/14]
22 家ではいつも試食会[2007/07/21]
23 大リーグで日本人対決というカラ騒ぎ[2007/07/28]
24 味見するのは楽しいけれど[2007/08/04]
25 お金で手が汚れる[2007/08/11]
26 手袋を着けたり脱いだり[2007/08/18]
27 夜はネズミの運動会[2007/08/25]
28 拭きマニアから清潔マニアへ[2007/09/01]
29 日本人女性の声が汚くなった[2007/09/10]
30 せめて清潔な顔になりたい[2007/09/17]
31 清潔な顔ってどんな顔?[2007/09/24]
32 見た目が十割、言葉も十割[2007/10/02]
33 落ちたパンを拾って食べる[2007/10/09]
34 商売は、清潔で勝って不潔で負ける[2007/10/16]
35 飴細工が町から消えた[2007/10/24]
36 他人の息が嫌いだ[2007/10/31]
37 カミカゼという不潔な言葉[2007/11/07]
38 もう一つの戦争[2007/11/14]
39 潔癖症と笑うなかれ[2007/11/22]
40 「試してガッテン」不潔な料理法[2007/11/29]
41 菓子職人をフランス語で言うと[2007/12/13]
42 清潔好きには盲点がある[2007/12/20]
43 口臭を気にするのは公衆道徳か?[2007/12/27]
44 正月という時間[2008/01/05]
45 年賀状交換の同時性[2008/01/12]
46 私は年賀状を書くのをやめた[2008/01/19]
47 ツバを飲ませる[2008/01/26]
48 古本屋で36円の値が付いた[2008/02/03]
49 旅のニオイは吐き捨て[2008/02/10]
50 フランス人の口臭対策[2008/02/17]
51 限りなく無臭に近い香料[2008/02/25]
52 フリーハグも良いけれど[2008/03/07]
53 人前でオナラをしない方法[2008/03/23]
54 ママはオナラをしなかった[2008/03/31]
55 大江健三郎さんはすごい(1)[2008/04/12]
56 裸体は清潔なのか不潔なのか?[2008/04/23]
57 パクリストはIT時代のヒーローか?[2008/05/03]
58 秋葉原無差別殺人事件─殺しの自由[2008/06/25]
59 なぜ殺してはならないのか?─法が禁ずるから[2008/07/13]

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