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2009年2月23日 (月)

日本人はこんなに冷たかったのか─中川財務相の辞任

 真理は隠れている。探し出すのはあなた自身だ。 小野しまと

       ☆       ☆       ☆

 しばらく前から、中川財務金融担当相が体調を崩しているのではないかと思っていた。国会中継を見ていると、麻生首相の横に坐っている同氏が、疲れ切ったような様子で椅子に深々と沈み込み、目を閉じてじっとしている姿を見かけることがあった。ちょうど先日のG7の時と同じような感じで。

 そんな印象が強かったせいか、G7での記者会見を見て私が真っ先に考えたのは、中川財務相の病的症状がとうとう表面に現れたのではないかということだった。あの表情や態度や話し方からすると、「これは病気に違いない」というのが私の直感だった。

 ローマでの会議に出席するためにはかなりの強行軍が必要だったであろう。精神的な疲れもいつもの何倍かはあったに違いない。そういった心身両面にわたる疲労が積み重なった結果、肝心かなめの会議の席上で、あのような状態に陥ってしまったのであろう。

 それにしても、なぜ周囲の人たちは中川氏をあのまま放置しておいたのであろう。外務省を始め関係省庁から多くの随員が同行しているはずなのに、誰ひとり中川氏の病的な状態を気遣わなかったのであろうか。聞くところによると、ああいう状態になったのは、記者会見の場だけではなかったという。

 私がふと思い出したのは、ブッシュの父がアメリカの大統領として日本を訪れた時、晩餐会の席上で突然倒れかかったことがあった。その時は、周囲にいた人たちが走り寄って介抱すると同時に、カメラの目からブッシュ氏を遠ざけ、そのあからさまな状態を撮影させないように庇っていたことが特に印象的だった。

 私は、中川氏のあの病的な姿を報道陣に見せまいとする配慮があっても良かったのにと思ったのである。ところが、隣席の日銀総裁も、またもう一方の側にいた財務省局長も、なにか他人事のような感じで、中川氏の挙動に特に驚いた様子もなく、平然と記者会見を続けていたことに、私はどことなく不自然なものさえ感じたのである。

 外国のメディアは早速、「眠気覚ましにはイタリアのエスプレッソがあるではないか」などと皮肉で揶揄的な言葉を付けてこの状景を世界に流し、長距離飛行と時差のおかげで眠気に勝てなかった中川氏の「失態」と意味づけたのであった。

 日本のメディアは、この場合どうすべきであっただろう。まずは、この「失態」という判断に対して、それを否定する立場を見せても良かったのではないだろうか。

 私は、何も嘘をつけと言ってるのではない。中川氏のあのような態度の原因としては、病気ということも考えられるし、それ以外の原因が何かあったのかも知れない。極端なことを言えば、政府の要人が一服盛られることだって無いとは言えないであろう。

 外交が本質的には国家利益を目的とし、国家の誇りをかけて行われていることは、昔も今も変わらない。日本のメディアも、この際少しは愛国的になって、まずは、自国の政治家の名誉を守ろうとする暖かい報道をしても良かったのである。

 ところが、どうであろう。各紙・各局がいっせいに書き立てたことは、中川氏のぶざまな態度であり、外国メディアの酷評からさらに一歩進んで、「泥酔」とか「醜態」という言葉までさかんに飛び出してくる始末だ。

 テレビ局の解説者たちも、いっせいに中川氏に対する非難、糾弾、悪口の集中砲火を浴びせ、「風邪薬を飲んだせいかも知れない」という同氏の言葉には耳を貸そうともしない。中には、「こんなことコメントする価値もない」と叫び出す有名評論家さえいた。

 さらに悪いことに、森元首相が、中川氏の飲酒癖について語り、泥酔し寝ていることもあったと証言し、麻生首相の人選に疑念の言葉を洩らしたことも、中川氏の印象に決定的な影響を及ぼした。

 街頭でインタビューを受けた人たちも、「早く辞めてほしいですね」とか「日本の恥ですよ」などという答に終始し、私の知るかぎりでは、中川氏に対する同情的な言葉はまったく聞こえてこなかった。

 最近のニュースでは、中川氏は「風邪薬」の他に、「腰の痛み止めの薬」を飲んだとも言っているそうだが、そうすると、これ以外にも、人々に伏せている薬の使用があったのかも知れない。

 病と闘いつつも、国家のために身を捧げて働いている大臣などということになると、これはヒーローの誕生と言っても良いであろう。G7を終えた中川氏が自宅に戻った時、奥さんが「頑張って、日本一」と大声で言ったそうだが、私は、この意味不明な言葉に何かが隠されているように思えてならない。

 野党からはさっそく問責決議案が提出され、さらに首相の任命責任が問われるような事態になり、ついに中川氏は、財務金融担当相の職を辞することになった。

 同氏の酒好きは有名だそうで、晩餐会などでも深酔いをしてハメをはずしてしまったこともあるという。しかし、酒の席で飲み過ごすことと、大事な仕事を前にして深酔いするのは別のことだと言わねばならない。

 私が不審に思うのは、外国の新聞が最初から中川氏の「節度のない酒好き」について述べ、あのような「醜態」を演じたのは明らかに酒のせいだと、なかば嘲笑的に断定したことである。どこで、「酒好き」などという情報を手に入れたのだろう。

 中川氏が、G7のような重要な会議を前にして泥酔するような自堕落な人間だとしたら、性格破綻者と言われても仕方がないであろう。しかし、いくらなんでも、そのような人物を麻生首相が国の大臣職に任命するはずがない。私たちは、自分たちの代表をもう少し信じてもよいであろう。

 また、仮にそうだったとしても、そのような人物を選挙で選び、大臣職に就くまでの資格を与えてしまった国民全体の責任が問われるべきであって、必ずしも首相の任命責任だけが問われるものではない。それが民主主義の論理というものである。

 そして、もしも「泥酔」ということが事実ならば、それも一種の病気なのであるから、国民全体がその病気を隠し、国家の健全な顔を見せようと努力することが、まさに国際政治の行動原理であり、要諦なのである。

 中川氏の辞任について、ロシアのテレビ局が次のような論評を加えていた。同氏がワインを飲んで酔っぱらったかどうかなどということは関係ない。この事件で明らかになった日本の政治の特色は、そんな態度を見せたということだけで簡単に見切りをつけ、新しくやり直すことにあるらしい、と。

 ロシアにはウオッカを飲んで酔っぱらう政治家はいくらでもいる。ところが、日本ではそうらしいと思っただけで、その政治家がこれまで国家のために尽くしてきた功績も忘れて、一遍にクビにしてしまう。なんとも狭量で冷たい国民だということを皮肉った論評のように受け取れるのであるが、どうだろうか。

 中川氏の「泥酔」報道があった日の深夜、たまたまBSで黒澤明の「わが青春に悔いなし」が放映された。戦時中、反戦運動で捕らえられ獄死した夫の郷里へ、原節子扮する妻が訪れる。夫の両親の家には「スパイの家」とか「裏切り者」などと落書きされており、村の人々は、なんとも冷たい視線を彼女に送るのだ。

 そんな冷たい視線は過去のものだとばかり思っていたら、今回G7で起こった中川財務金融相の事件は、それと同じ冷たさが相変わらず日本人の心の中にあることを教えてくれた。「麻生降ろし」の呼び声にも、多分にこういった「村八分」の感情が働いているように思える。せっかくの有能な政治家をこれでひとり失うことにならなければよいが。

 (先ほど耳にした情報では、記者会見後のバチカン博物館の見学でも中川氏がなにか失態を演じたということだった。私は、記者会見の席上であんな状態だった中川氏をなぜ休ませようとしなかったのかと不審に思う。中川氏の失態よりも、周囲の人間の無神経さが気になるのだ。日本の外交や国内政治を狂わせようとする意図的な策謀でもあるのだろうか?)

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コメント

他人に無関心っていうか、他人の世話をしない器の小さな日本人…他国との比較で浮き彫りになる特色ですよね。
そういう冷たい社会が心地よいと思うようになってしまったら、もうおしまいではないでしょうか。人間の本性に反しますよね。
お見事な記事、ありがとうございます!

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