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2008年8月31日 (日)

Black Heartのとんでもない誤訳

 真理は隠れている。探し出すのはあなた自身だ。 小野しまと

       ☆       ☆       ☆

 テレビで、アメリカ映画「ホワイトハンター、ブラックハート」を見た。クリント・イーストウッド監督主演の1990年制作の映画だ。モデルは、かつてハンフリー・ボガートとキャサリン・ヘップバーン主演の映画「アフリカの女王」を監督したジョン・ヒューストンだという。

 映画撮影のためアフリカへやって来たジョン・ウィルソンは、撮影よりも象狩りに夢中になっている。巨大な牙を持つ一頭の象を追いかけて、ジョンは、撮影など放り出し、現地の案内人キブとともに山野を走り回っている。

 この黒人の案内人キブだけが、ジョンにとっては心の許せる友だちなのだ。というのも、ジョンは、ユダヤ人差別や黒人差別には激しい怒りを見せる性格で、黒人を不当に扱っているホテルの支配人とは、体力を使い果たすまでの殴り合いをも辞さないほどの心の入れようだ。

 現地の黒人たちは、こういうジョンの心根をよく知っており、案内人のキブを始め、みんながジョンには特別な親しみを抱いている。

 映画の出演者やスタッフが揃い、遅れていた撮影にこれから入ろうという或る日、案内人キブから、ジョンの狙っている巨大な象を見つけたという連絡が入る。

 ジョンはまたまた、せっかく準備を始めていた撮影を放り出し、脚本家のヴァリルなど二、三の仲間を引き連れて、キブのもとへ駆けつけるのだ。

 いよいよ目的の巨象と対決するジョン。もともと象を撃つことに反対な脚本家ヴァリルは、ジョンを制止しようとするのだが、キブだけはジョンと行動を共にすることに積極的だ。

 しかし、象の頭に狙いを付けたジョンは、どうしても銃の引き金を引くことができない。野生の象をまともに観察して、生きるものの尊厳に心を打たれたのであろうか。

 象を殺すことは、法的な意味での犯罪(crime)ではないが、倫理的な意味での罪悪(sin)であることはジョンも認めていた。その罪の意識に突然捕らわれたのであろうか。

 とにかく、彼は、象を撃つことをやめてしまう。それで全てが平穏に収まればよかったのだが、象が突然暴れ始めたのだ。走り出てきた子象の動きに刺激され、狂乱状態に陥った親象が、ジョンに向かって突進し始めた。

 そのジョンを庇おうとして、案内人のキブが象の前に飛び出し、牙に刺されてしまう。キブは、身を挺して親しいジョンの命を救ったのだが、その結果、自分は帰らぬ人となった。

 傷心のジョンが、みんなの待っている撮影現場に戻ると、そこに集まっていた現地の人々が、太鼓を叩き、何やら歌い始めたのだ。

 案内人キブの死を知らせ、その死を悼む歌だった。何を言っているのか、というジョンの質問に答えて、通訳が言う。

 「White hunter, black heart」と。

 ここで、この映画の表題になっている「ホワイトハンター、ブラックハート」という言葉が初めて出てくるのだ。それも、何とも驚くべき、とんでもない日本語訳とともに。

 「白人ハンターは、邪悪な心」

 この訳だけで、この映画のテーマも、価値も、意味も、すべてが吹っ飛んでしまうほどの、とんでもない誤訳なのだ。

 「ブラックハート」のブラック(黒い)を「汚れた」「汚い」「邪悪な」などという意味に取ったのであろう。以前には「悪魔の心」という訳語さえあったようだ。

 太鼓を叩いてこの歌をうたっていたのは黒人たちである。黒人がブラックという言葉をそんなネガティブな意味で使うだろうか。

 それに、ここでは、ホワイトとブラックの二つの言葉が、「白人」と「黒人」という意味で対比的に使われていることを見落としてはならない。

 なぜ、「白人のハンター、黒人の心」という訳が素直に思い浮かばなかったのであろう。

 ジョンは、黒人の心が分かる白人として、現地の人々から愛されており、それだからこそ案内人キブは、自らを犠牲にしてまで、彼を助けようとしたのである。

 ジョンが、黒人を差別するホテルの支配人に殴り倒され、フラフラになり、血にまみれながらもあくまで戦おうとして立ち上がっていく状景を目にした黒人たちは、キブの死をジョンのせいにして恨んだりはしないであろう。

 そういう映画のプロットをまったく無意味にしてしまうような訳が、ブラックハートを「邪悪な心」とか「悪魔の心」などとする、滅茶苦茶な訳なのだ。

 この映画に対する評価や感想にも、この訳の影響が現れていて、いろいろなブログを見ても、「白人ハンター、邪悪な心」を前提とする解釈ばかりが並んでいる。

 「映画の意味がよく分からない」「解釈に困る話だ」「はっきり言って、内容がよく分からない。伝えようとしている事が難しすぎる」といった答えも多いのだが、それは多分に、この映画のタイトル「ホワイトハンター、ブラックハート」の意味が曖昧なままに進行し、最後にいきなり日本語訳が示されるという構成によるのだろう。

 なぜ、日本語のしっかりした表題を付けなかったのだろう。最近は、横文字のままカタカナで表記することが多いが、やはり出来うるかぎり翻訳の努力はすべきであろう。

 何もかも日本語に言い換えることには問題もあるが、これまで外国語を日本語に直すことによって、日本語の文化が高められ、豊かになってきたことを忘れてはならないであろう。

 「ホワイトハンター、ブラックハート」のタイトルが、「口に出すとゴロがいいが、英語力が足りないこちらにとって、最後の最後に黒人通訳が口にするセリフの字幕スーパーで、ようやく理解に至りました」などと書いている人もいた。

 その字幕スーパーが「白人ハンター、邪悪な心」では、内容の「理解」がどんな方向に進んでしまうのか分かったものではない。

 「白人のハンターには悪魔の心が宿っている」と理解する人が多いようで、監督ジョンがそのことを思い知らされるのは、最後に巨大なアフリカ象の前で、勇敢な案内人が身代わりになって死んだ時だ、などと解釈する人もいる。

 「悪魔の心を持つハンターが、崇高な心を持つアフリカ人ガイドの犠牲によって命を拾うというアイロニー」などと書いている人もいた。

 この結果、自分の「邪悪な心」を思い知らされた監督ジョンが、「途方に暮れて、自分の行動を見つめ直し」、これまでの身勝手さや傲慢を乗り越えて、「アフリカの女王」の撮影に真剣に取り組もうとするのが、この映画の結末だというのである。

 しかし、こういった解釈がすべて誤りであることは、以上に述べたことからも明らかであろう。ブラックハートを「邪悪な心」とか「悪魔の心」としたたった一語の誤りが、日本全国に誤解の種を振りまき、この映画の評価を狂わせてしまったのである。

 もう一度言っておこう。この映画の題名は、「白人ハンター、黒人の心」なのだ、と。

参照:
牧坂満/http://www.eigaseikatu.com/imp/2522/387000
クルイベル/http://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?TITLE_NO=4144
仮名側之丞/http://www.eigaseikatu.com/imp/2522/28270
コナンが一番/http://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?TITLE_NO=4144
古地留知夫/http://wkss.bizhat.com/gatesofhell/070aenigma/0707no5/0700701.html
星空のマリオネット/http://www.eigaseikatu.com/imp/2522/296314
M's daily life/http://amlmlmym.blog15.fc2.com
なるた/http://www5b.biglobe.ne.jp/~naruta/mrepo12.htm

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