1行紹介

哲学者 大の野球好き

自己紹介文

『清潔マニアの哲学エッセイ』(http://shimaton.cocolog-nifty.com/essai/)の著者として

 私は、元大学教授で、哲学を30年間教えました。退職後は、研究を続けるためにフランスで暮らしていましたが、生活費が足りなくなり、日本へ帰ってきました。教授時代に何冊か本を書きましたが、本の題名は伏せておきます。

 そうしないと、私の本名がバレてしまうからです。「小野しまと」は仮の名です。「小野」は母方の先祖の姓から、「しまと」という名は、父方の先祖のひとり「仕舞人」からもらいました。

 仮の名のほうが、言いたいことが言えます。書きたいことが書けます。つまり、精神的に自由でいられますし、真実にいっそう近づくことができます。名前を偽っているほうが真実に近いというのは妙な話ですね。

 もちろん、仮の名だったらウソも言えます。しかし、そんなウソは、ネット上の読者には簡単に見抜かれてしまうでしょう。

 名を隠すのは、言葉の自由主義と民主主義を生み出しているIT時代にこそ相応しい生き方だと思いますので、いましばらく仮の名で過ごさせていただきます。どうぞ、よろしく。

 私は、この仮の名を使って二册の本を書きました。『イチロー・武蔵・西部劇─十割打者を目指す求道者』という本と、『清潔マニアの快的人生─永遠のキレイを求めて』という本です。(いずれもビワコ・エディション版 www.e-biwaco. com)

 一つは、私の趣味を活かした本で、一つは、私と妻の生活流儀を書いた本です。これでも、れっきとした哲学書のつもりなんです。一見、雑談風で、そんなふうには見えないのですが、きっと、見る人は見てくれるでしょう。


『裁判員になるための基礎訓練』(http://shimaton.cocolog-nifty.com/liberte/)の著者として

 私、小野しまとは、東京の大学を皮切りに、京都の大学で哲学を修行し、その後30年間大学で教えました。退職後は数年間フランスで暮らし、最近日本に戻ってきました。

 日本に戻ってきていちばん驚いたことは、「裁判員」という制度がすでに出来上がっており、近々正式に実施されるということでした。陪審制は今もアメリカで行われていますが、これは開拓時代の遺制であって、日本で新たに法制化されるとは思っても見なかったのです。

 そこで、この制度についてもっと研究し、認識を深めねばならないと思ったのですが、何よりも決定的なことは、自分がすでに法律上、裁判員という身分を与えられているという事実です。法律に従うことが義務であるかぎり、この事実から逃れることはできません。

 この制度に反対するかどうかということ以前に、自分がいずれ裁判員としての任務を求められた際に、どのように責任を果たさねばならないのかということを考えておく必要があります。

 他の人間に刑を宣告するということが、どんなに重大なことかは想像に余りあるでしょう。その時に備えて、自分の精神や思考を磨き上げておくことは、単に法への参加のためというよりも、人間としての責務であると言えます。

 私は、裁判員になるための基礎的なトレーニングという意味でこのブログを書くことにしました。目的は、自説を主張することではなく、多くの人のご意見や批判を聞いて、自己を高めることにあります。


『ツバ吐き博士の孤独なブログ』(http://shimaton.cocolog-nifty.com/esprit/)の著者として

 私、「ツバ吐き博士」こと、椿八十郎こと、小野しまとは、大学で30年間、哲学を教えました。退職後は、研究を続けるためフランスで暮らしていたのですが、最近事情があって日本に戻ってきました。

 大の野球好きで、高校野球、大学野球、プロ野球、社会人野球と、野球と名の付くものなら何でも見ますが、最近は特に、大リーグの試合中継にハマっています。フランスへ行く前は、放映された野茂の登板試合は全て見たのですが、残念なことに、フランスでは野球のテレビ放送はありません。

 そこで、フランスで専らやっていたことは、メジャーリーグのホームページを呼び出し、そこで逐一報道される試合経過を文字で読み取るという「観戦」方法でした。

 文字を読むだけでも、例えばイチローの、打ったり、走ったり、捕ったりする姿はありありと目に浮かんできます。私がこういう特技を身に着けたのは、子供の頃、ラジオの実況放送を聞くだけで、野球場の全景から選手たちの動きまで、何でも思い浮かべられるようになったからです。

 ところが、日本に帰ってきて、大リーグのテレビ中継を見ていますと、やはり目で見なければ分からないことが色々あることに気がつきました。その一つは、大リーグの選手たちが、試合中やたらとツバを吐くということです。

 日本人選手がツバを吐くところは、私がこれまで観察したかぎりでは、まだ一度も見たことがありません。そこで私は考えたのです。これは、日本人と外国人との文化の違いではないかと。

 そう言えば、私自身、子供の頃から、特殊な場合を除き、ツバなど吐いたことがありません。しかし、欧米の映画などでは、ツバを吐く行為をよく目にします。特に多いのは、相手の顔にツバをかけるシーンです。

 日本映画ではまさかそんな場面は無いだろうと思っていたところ、最近黒澤明の映画で何度か見たのには驚かされました。そこで私は、人間のツバを吐くという行為をもう少し深く考えてみようと思い立ったのです。

 ところが、この「ツバを吐く」という行為が、人間の根源にかかわる重要な意味を持つことに、私はしだいに気づかされていきました。もう少し深く考えてみようなどというどころか、一生かけても解き尽くせないような大きな問題を抱えた言葉なのです。

 「ツバを吐く」「ツバをかける」「ツバを付ける」「ツバを飛ばす」「眉にツバを付ける」「ツバする」「つわく」といった言葉の意味をよく考えてみますと、容易には解き明かすことのできない謎の部分にぶつかります。とりわけ、「天にツバする」という言葉が、人間と世界の特殊な関係を開示しているようで、簡単な解釈だけで済ませるわけにはいきません。

 私が「ツバを吐く」という人間の行為を一生かけて研究しようなどと言ったのは、決してただの軽口ではないということがお分かりでしょう。

興味のあること

野球、音楽、カメラ (哲学は別にして)